信頼は相手のために払った犠牲の質と量に比例する

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【本日の名言・格言・心に響く言葉】

信頼は相手のために払った犠牲の質と量に比例する

- ヴィルヘルム・ディルタイ -

(ドイツの哲学者。)

 

 

この言葉の中に出てくる「犠牲」というものの定義が難しいところではありますが、

私はこれを「愛情」ととってもさしつかえないのではないかと思っています。

 

「犠牲」と聞くと、相手のために自分を殺して我慢して奉仕する、

というような聞こえ方がしてきますが、決してそういう意味ではないと思います。

犠牲、つまり

見返りを求めない無条件の愛情を注ぐことで

信頼は生まれるのだと思います。

 

誰しも、本当に信頼し合っている友人が居るかと思います。

 

もし、いわゆる「犠牲」になっているのであれば、

その友人と居ること自体が辛くなってくるでしょう。

でもそんなことはないですよね。

 

 

無意識のうちに注いでいる愛情、

これがここでいう「犠牲」になるのだと思います。

 

 

もちろん、意識的に友人のために何かしてあげることもあるでしょう。

本当に自分を犠牲にして守ってあげたり、奉仕してあげたり。

いざという時はその友人のために命ですら張れるかもしれません。

 

でも本当に信頼関係にある者同士は、それを犠牲とは思っていません。

当然だと思っているでしょうし、何かをしてあげることを清々しいとさえ思っています。

 

だから、みんなから信頼を得られる人は、

必ず、みんなに愛をもって、人に奉仕できる人です。

これに関しては例外はありません。

 

もし信頼を得たいのであれば、

 

自分の方から愛情を持って接することが必要です。

 

自分は何もしないけど私を信頼してください、では信頼を得られません。

 

でも、ほとんどの人が自分から愛情をもって接することはせず、

相手側から好意をもって接してくれれば好意を持つという人が多いのではないでしょうか。

なぜなら、人は誰もが、

自分に好意を持ってくれる人には好意を持つものだからです。

 

みんな相手からのアプローチを待ってしまうものです。

 

だからこそ、自分から愛情をもって接すればいいのです。

 

みんな相手からのアプローチを、知らず知らずのうちに待っているのです。

 

そうすれば、相手も好意を持ってくれるでしょうし、

自分自身が誠実であれば、信頼も得られるでしょう。

 

愛情を持たずに上辺だけの行動で信頼を得たいのであれば、

本当の意味で「犠牲」になるしかないかもしれません。

相当大変で辛いでしょう。

 

でも愛情を持って接している人への奉仕は

決して「犠牲」にはならないはずです。

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